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物に宿る霊を探る

貴女は身の回りにある物を大切にしているでしょうか? どんな物にも霊はとり憑くことがあるし、長い年月を経て物に魂が宿ることだってあるのですから、大切にするに越したことはありません。事実、霊感電話占いオシラ様の霊能者も、物に宿るたくさんの霊に遭遇し、恐ろしい体験をしているのです。そのことを知っていただくためにも、ここでは霊能者たちの寄稿文をもとに「物に宿る霊」について語らせていただくことにしましょう。

事例#01 付喪神(つくもがみ)


岩手県盛岡市の田中悠美さん(仮名)の和ダンス

古い和箪笥

我が『霊感電話占いオシラ様』の霊能者が今回鑑定におもむいたのは、岩手県盛岡市の田中さん宅。旧家と呼ぶにふさわしい、大きなお屋敷です。田中さんから電話占いをお受けした際に霊能者はとても凶悪な霊の存在を感じたため、今回は特別にお宅にうかがい、鑑定することにしたのです。

「よくおいでくださいました。こちらにお入りください」
そう言って私を迎えてくださったのは、田中家の女主人である田中悠美さん(仮名・50代)。この家は数世代前から男児の生まれない女系家族で、夫を迎え入れても10年経たないうちにみな亡くなってしまうのだそうです。悠美さんも10年前に夫を亡くし、ご両親もそのときすでに亡くなられていました。
悠美さんに通された古めかしい蔵のなかには、専門家も目を見張るような古美術品が多数陳列されていました。しかし、もっとも私の興味をそそったのは、年代を感じさせる古い和式ダンスです。その表面は綺麗なあめ色に磨きあげられ、木目は美しい模様を描き出していました。しかしその一方でこのタンスは、思わず目をそむけたくなるような禍々しい波動を強烈に放っていたのです。
「ご相談くださったのは、この和式ダンスですね?」
そう尋ねると、悠美さんはゴクリと唾を飲み込んで頷きました。それを合図に霊視に入ると、「私を呼ぶのは誰だ……?」という厳かな声が脳内に響いてきました。おそらくこの声の主は、和式ダンスに宿った付喪神(つくもがみ)。付喪神は長く使い続けてきた物に宿る霊魂であり、日本の八百万の神のひとつといってもいいでしょう。人間にとってはもっとも身近な神かもしれません。
霊視を続けると、田中家の庭に生えた大きな欅の木が目に入りました。樹齢はゆうに100年は超えているでしょう。このタンスは、数世代前の田中家の跡継ぎが生まれた際に、記念にとその欅を切り倒して作られたものでした。そしてこの欅自身も、跡継ぎとなる少年のために自分がタンスになることを当時はとても誇りに思い、喜んでいたのですが……。
「私は必要とされて作られ、この家に迎えられた。しかし、今は誰も私を必要としてはいないのだ……」
その声は私に向かって、こう言ってきました。地の底から響いてくるように重く、とても寂しげな声でした。蔵にしまわれ、家具としての役目を失ってから、このタンスは荒らぶる神へと変化したのです。付喪神は田中家の人間を呪い、自分を愛してくれた少年以外を田中家の当主として認めないようになりました。そのため、田中家では代々男性が誕生しないし、迎え入れた婿も早死にすることになってしまったのです。恐ろしいことですが、少年への忠信の念をそこに読みとった私は、この付喪神は和ぎる神(なぎるかみ)になれると確信。敬う気持ちをお伝えし、祈祷へと入りました。私が祈祷に取り組んでいる最中、田中さんも手を合わせて一心に祈りを捧げていましたが、緊迫した雰囲気で息苦しくなるほどでした。
それから数十分は経ったでしょうか。私たちの祈りが通じたらしく、ある瞬間にタンスから発せられていた禍々しい波動がふっと光に溶けていったのです。付喪神は浄化され、福神へと変化を遂げたのです。付喪神自身も、本当はもっと早くこうなることを望んでいたのだ……。そう感じ、お役に立てた嬉しさで私も胸がいっぱいになりました。

一連の出来事をこうして文字に起こしても、読んだ人に付喪神の恐ろしさはあまり伝わらないのかもしれません。しかし、物にも心が生まれるということ、大事にすれば恩義に応え、粗末に扱えば祟られる可能性があるということを、どうか覚えておいていただきたいのです。八百万の神と仲良くすることができれば、貴女自身の人生はきっともっと豊かなものになるはず。オシラ様霊能者一同、霊と人間が仲よく共存できる日が来ることを願ってやみません。

付喪神(つくもがみ)とは・・・ 古い物や器などに神や霊魂が宿り、妖怪となったものの総称。長く使われてきた物や古くなった物はそれだけで神聖である……という古神道の考えから来ています。それらは日本における八百万の神として位置づけられ、大切に扱えば幸福をもたらす和ぎる神(なぎるかみ)となり、粗末に扱えば禍をもたらす荒らぶる神(あらぶるかみ)になるといわれています。「針供養」や「包丁供養」といった供養も、この考えに基づいたもの。「九十九」もしくは「九十九髪」とも表記します。



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